教行寺の由緒
教行寺は、もと天台宗比叡山延暦寺の末寺であったと伝わります。天台宗の末寺であった頃の詳細は残念ながら不明ですが、薬屋を兼ねたお寺であったという説が伝わります。
応永24年(1417年)、教行寺檀家の阪口仲兵衛の祖先・道誓の娘が、後に本願寺第8代を継職された蓮如上人の御幼少のころ御乳母としてお育てしたことから、蓮如上人はたびたび同家を訪ねられました。そのご因縁により、道誓は真宗へ帰依したと伝えられています。
そのような由緒から承応2年(1653年)、教行寺は天台宗から真宗へ改宗。京都伏見の本浄寺から玄阿を迎え、中興第一世としました。以来、信証山の山号のもと、奈良のまちで念仏の教えとお寺を護持してきました。現住職は教行寺 第19世となります。

ご本尊について
御本尊の阿弥陀如来立像は、源信僧都の御制作と伝わる乾漆製です。
浄土真宗では、阿弥陀如来を御本尊とします。「阿弥陀」とは、インドの言葉を音写したもので、「アミターユス」(無量のいのち)、「アミターバ」(無量の光)のふたつの意味をもっています。また「如来」とは、「私に真理がはたらく」ということを意味します。
木像や絵像の阿弥陀如来が、右手をあげ左手をさげて立っておられるそのお姿は、悩み苦しむ私たちを救おうという願いを表したもので、限りない智慧と慈悲を表しています。また背後にある後光・光背といわれる飾りは、阿弥陀如来の“はたらき”は全てのものを照らす光であることを表しています。
いつでも、どこでも、どんな人も、もらさず救いたいという阿弥陀如来の“はたらき”をかたちどったのが、木像や絵像のお姿なのです。

御堂の変遷
本堂の再建と受け継がれた伽藍
現在の木造瓦葺の本堂は、大正3年(1914年)に再建されました。宝永2年(1705年)の本堂焼失後に再建された旧御堂から受け継がれ、今日までお葬式・ご法事・法要や日々のお勤めの場として大切に使われています。


鐘楼堂と境内
山門右手の鐘楼堂は、第十五代 大徳院 釋慧正によって昭和57年(1982年)10月10日に建立されました。梵鐘には南無阿弥陀仏の御名号が彫られ、毎年大晦日には除夜の鐘をお撞きいただけます。
境内には永代納骨墓、本堂裏手には墓地が広がります。近鉄奈良駅から徒歩5分の市街地にありながら、静かに手を合わせられる場所です。

教行寺の宝物
本願寺 蓮如上人真筆の名号や代々受け継いできた本願寺聖人伝絵の巻物など多くの什物を大切に護持しております。


現代社会を生きる人にひらかれたお寺へ
長い歴史を受け継ぐだけでなく、お葬式やご法事、納骨、墓じまい、仏教のこと、そして日々の悩みまで、迷い困った時に安心して頼ることのできる〝かけこみ寺〟でありたいと願っています。檀家さんはもちろんのこと、初めての方も、どうぞ気兼ねなくたずねてください。

浄土真宗と真宗大谷派について
教行寺は、京都の真宗本廟〈東本願寺〉を本山とする真宗大谷派の寺院です。宗祖・親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗は、お念仏に自らの歩みをたずね生きんとする教えです。
親鸞聖人の教えを聞く宗派の一つが真宗大谷派です。教行寺では、御本尊の阿弥陀如来を中心に、日々のお勤め、報恩講や永代経法要、お葬式やご法事をお勤めし、浄土真宗の教えに遇う場を大切にしています。
奈良市で浄土真宗のお寺をお探しの方、真宗大谷派のお葬式やご法事、仏事のことを尋ねたい方は、檀家の方に限らずどうぞ気兼ねなくお訪ねください。
宗旨
- 本尊
- あみだにょらい阿弥陀如来
- 正依の経典
- ぶっせつむりょうじゅきょう仏説無量寿経 (大経)
- ぶっせつかんむりょうじゅきょう仏説観無量寿経 (観経)
- ぶっせつあみだきょう仏説阿弥陀経 (小経)
- 宗祖
- 親鸞聖人
- 宗派の主著
- けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい顕浄土真実教行証文類 (教行信証)
- 宗派名
- 真宗大谷派
- 本山
- しんしゅうほんびょう真宗本廟 (東本願寺)
京都市下京区烏丸通七条上る


