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お寺の掲示板

いただきます と合掌するのは 感動の表現である

いただきます と合掌するのは 感動の表現である

Saying “I gratefully receive this meal” with hands together in gasshō is an expression of having been moved by the gift of life.

米沢英雄

法話

因幡の源左として知られる妙好人足利源左さんのお手継ぎ、鳥取県青谷の願正寺さまには、3年に1度ほどご縁を頂きます。2021年の春彼岸が、最近のご縁でした。源左さんの言葉は、若いころから何度も味わい、紹介もしてきました。それでも法語の味わいというのは、繰り返してもその都度、新しい発見があります。この時は願正寺さまに額装して掛けてあった言葉、「めしよりうまいもんが、あるかいや」について、お話しさせていただきました。

炊き込みご飯はおいしいものです。季節、季節。栗ご飯や松茸ご飯、筍ご飯など。その時期に採れる恵みをご飯でいただくほど、おいしいものはありません。私も大好きです。でも、毎日同じ炊き込みご飯は無理です。よくたとえでお話しするのですが、どれほど高級な料亭、それこそ何万円もするような割烹の料理でも、2日続けては嫌です。それはなぜでしょう。

家でのご飯。そこでは食べたい量、とろろ昆布やお漬け物、梅干し、なんでも自分の好みに合わせられます。多かったら減らせます。すべてが自分専用なのです。外でいただく場合はそうはいきません。量、味、好み、多少なりとも向こうに合わせなければなりません。普段味わえないような美味であっても、そこには、幾分かの無理が生じているのです。

「めしよりうまいもんが、あるかいや」
ご飯ほどおいしいものはない。これはいうまでもなく、白いご飯に違いありません。
私も子どものころ、母の実家で、ご飯と味噌汁、お漬け物だけの朝ご飯を、何日も続けていただきました。毎日変わりません。茄子のお漬け物のおいしかったこと。そして、毎日食べても絶対に飽きのこない食べ物、それが白いご飯であったのです。
「めしよりうまいもんが、あるかいや」
むろんこの言葉はたとえです。

私を育ててあってくださるご飯。自分専用。飽きることがない。向こうに合わせる必要がない(向こうが、私に合わせてくださってあるからです)。源左さんはお念仏の味わいを、全く異なる「めし」によって、このように表現されたのです。異なるもので別の味わいを表す、このような比喩を暗喩といいます。

毎日毎日、自分専用のお念仏を申して手を合わす日々。充実した人生であったといえるでしょう。

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。